平成15年(モ)第7751号事件
忌避申立理由書
 
 平成15年6月28日
申立人 河村昌弘
東京地方裁判所民事第35部 御中
 
 
 2001年2月、司法を揺るがす大事件が発生した。福岡高裁の判事の妻のストーカー事件に関し、捜査情報が高裁側に漏らされていたのだ。これが、いわゆる福岡地検・高裁機密漏洩事件である。
 これが、司法としてあるまじき行為であることは法律家以外には論をまたなかった。しかし、法律家の対応は鈍く、福岡高裁は当初、古川判事から報告を受け、はじめて事件を知ったと述べていた。ところが、古川判事の妻の逮捕に関する令状のコピーを既に取っていたことが後に発覚した。高裁が虚偽を述べたことが発覚したのである。
 申立人はこのような法曹の馴れ合い、かばい合いを憂い、山下永寿元検事、古川龍一元判事、機密を漏洩した裁判所職員を刑事告発した。
 これにより、福岡県警が捜査を開始し、大問題となったのは周知のとおりである。
 この事件では、古川判事の行動からして、裁判所から古川判事に情報が漏らされたとの懸念が持たれた。
 原告が忌避している土肥章大裁判長は、当時、古川元判事の所属する福岡高裁の事務局長の地位にあった。土肥裁判長に関しては、最高裁の調査によれば、当該事件で上記令状のコピーを受け取り、事件を最高裁に報告したとされている。そして、裁判所経由での情報の漏洩はなかったとされている。しかし、最高裁へ報告すること自体が、守秘義務に違反するのではないかと批判もあるうえ、福岡高裁が事件について判事から知らなかったと虚偽を述べていることからして、真相は藪の中である。
 いずれにせよ、土肥裁判長は対応が不適切であったとされ、分限裁判にかけられ、戒告の判決を受けている。
 また、本事件では、山下永寿検事が不起訴となっているが、申立人の申立を受けた福岡の検察審査会では 、「裁判所のスキャンダルが表沙汰にならないように処理することが真の目的ではなかったかとの疑念を晴らすことができない。よって、本件捜査情報の告知は、先の法制局見解にいう「秘密を漏洩するについて正当な理由がある場合」には該当せず、(申立人の申し立てている問題点である)手段方法について検討するまでもなく本件不起訴処分は不当と判断される。」と断じ、申立理由を詳細に検討するまでもないとして不起訴不当の議決をあげ、はからずも法律家と一般国民との法に対する意識の乖離がクローズアップされた。
 この点にも象徴されるようにに本事件は、法律家の馴れ合いに申立人をはじめとする法律家以外の国民が憤激し、うやむやにされそうになっていた事件が捜査・調査されるに至ったものである。 
 土肥裁判長も、このような大騒ぎにならなければ、事務局長としての要職にある身であり、事件をうやむやに出来、経歴に傷がつくこともなかったであろう。しかし、申立人の刑事告発をきっかけとし、裁判所も捜査の対象になり、刑事訴追には至らなかったとはいえ、土肥裁判長は、令状のコピー問題の責任を問われ、通常では受けることのない分限裁判を受けることになってしまった。
 以上の事情よりすれば、土肥裁判長が申立人に対して怨恨の情を抱いていることを否定することはできない。
 申立人は、これまで、土肥章大裁判長に、福岡高裁の事務局長であった人物であるかについて、説明を申し入れたが、何の回答もなく、仮に、事務局長であったとするならば公正を疑われるので、穏便に回避をして欲しい趣旨の上申をしたが、何の返答もなかった。
平成15年6月23日、土肥裁判長が法廷に現れたので、申立人は法廷において土肥裁判長に、福岡高裁にいた判事であるかと尋ねたところ、土井裁判長がそうである旨、答えた。ここで、申立人と土肥裁判長の関係が明らかになった。
 以上のような関係からすれば、土肥裁判長が申立人の事件に関して、復讐をするおそれなしとすることはできない。申立人の周りのどの一般人に聞いても、そんな関係では復讐するにちがいないと十人が十人異口同音に述べ、「裁判所は汚いことをしやがる。」と述べる者までいる。とするならば、原告と裁判長の間には、不公正な裁判がなされるおそれがあると通常人が懸念するような客観的な事情があると言える。土肥裁判長には「裁判の公正を妨げるべき事情」があると言うべきである。
 仮に土肥裁判長が聖人君子であり、恨みに思うこともなく、福岡の事件を真摯に反省しているということもあるかもしれない。しかし、それならば、なぜ、福岡の事件が大問題になったのかを考えるべきである。公正なふりをしていながら、裏で馴れ合いでいいかげんなことをやっているという司法の客観性に対する信頼が揺らいだからではないのではないであろうか。この事件の反省をしているならば、瓜田に履を入れず、梨花に冠を直さずで、自ら審理から身を引くことになるのではないであろうか。
 申立人としては、穏便にすませたいので、再三にわたり上申書を提出した。しかしながら、本意を理解して頂けなかった。
 土井裁判長が自ら身を引くことによって、司法の威信を保つことができたはずである。しかし、土肥裁判長はそういうことをしなかったのであり、いずれにせよ通常人の懸念するような公正を妨げるべき事情があると言えよう。
 そもそも司法の正当性はどこにあるのか。それは手続にあると言って良いであろう。裁判も神でない人間がやるのであり、判断が正しいという保障なとどこにもない。それは人間が裁判をやるのだから致し方のないことである。しかし、原告と被告との争いを、両者とは利害関係のない第三者が裁くということは人間でも可能であり、これこそが重要である。ここにこそ、司法の正当性があるのである。
 日本の最高裁にある正義の女神は、なぜか目隠しをしていない。しかし、海外で見られる本来の正義の女神は目隠しをしているのである。本来、司法は正義の女神のように、目隠しをしたものでなくてはならない。原告・被告に対して先入観を持たないような立場に、裁く立場にある者はなくてはならないのである。
 裁判長が原告に対して私怨を抱くような関係では、とうていまともな裁判は行えないし、いかなる判断に対しても原告は福岡地検・高裁機密漏洩事件の復讐をされたと考えざるをえないのである。
 福岡地検・高裁機密漏洩事件で明らかになった法律家の馴れ合いの事実によって司法の信頼は失墜した。信頼は一瞬にして失墜するが、失われた信頼を回復するのは難しいというのは論を待たないことである。
  その事件で明らかになった司法のデタラメは今や是正され、司法は本来の正しさを取り戻し、厳正に行われていることを示し、失墜した司法の信頼を回復するには、本件は希有の事件である。



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